湯河原の昔を描く ~鎌倉時代から昭和初期~

昔の白黒写真から湯河原の懐かしい風景画を起こす

白黒写真をAIにかけてカラー化する試みはすでに存在すると思いますが、水彩風景画家として絵にしてみる、という試みを始めました。きっかけは湯河原にある老舗旅館のご主人の言葉で、もともと興味があった私と意気投合、旅館の歴史を物語る古い写真を見せてもらい大いにインスピレーションを得たのでした。
その後、湯河原町立図書館監修の「湯河原今昔」という写真集を借りてきて、「絵にしたい風景」をいくつかピックアップ。さらに郷土史家の加藤雅喜先生にお話を聞くなどして、歴史好きな私はイメージを膨らませて昔の風景を絵にすることになりました。
今月初めに開催した個展「湯河原今昔」はこのようにして生まれ、折しも湯河原で毎年4月に行われる「源頼朝旗揚げ武者行列」が個展会場の前を通るということで、写真はないものの郷土の英雄・土肥実平の絵も描いたのでした。(慣れない人物画に苦労しましたが)

今はない福浦龍宮岩

大正時代の写真に残る「龍宮岩」は現在の福浦港辺りに位置し、箱根外輪山から連なる溶岩が長い年月で波と風により侵食してできた空洞が印象的な奇岩でした。龍宮城への入り口として親しまれていましたが、関東大震災で崩れてしまったそうです。今も残っていれば観光スポットになっていたでしょう――
水辺の風景を描くのが好きな私には楽しく描けた作品です。

現在の福浦港辺りにあった龍宮岩を絵にしてみた
大正時代の写真(湯河原町立図書館編「湯河原今昔」より)

小田原と熱海を結ぶ軽便鉄道

明治末期に小田原と熱海を結んでいた人車鉄道(湯河原の和菓子店「味楽庵」の前に模型があるのでお馴染)の後継として、大正時代に小型の蒸気機関車「軽便鉄道」が登場しました。今のJR東海道線とは異なる少し細めの線路で、湯河原では吉浜と門川に駅があったので、海沿いは車窓からの景色がさぞ美しかったでしょう。

軽便鉄道を見送る人々も描いてみた
大正時代の写真(湯河原町立図書館編「湯河原今昔」より)

小田原から国道135号線を下ってくると吉浜駅跡のプレートがあることはご存じでしょうか。またアーチ状の大きな吉浜橋の直前を右に曲がり真砂橋を渡る旧道こそが門川駅へと続く軽便鉄道の線路があった場所でした。人車鉄道の門川駅跡にも擦り切れたプレートがあります(軽便鉄道の駅とは100mほどずれている)。

昔は路面電車のように汽車の横を人が歩いていたようで、その光景を絵にしてみました。
ちなみに軽便鉄道の蒸気機関車は熱海駅前ロータリーに今も置かれています。

熱海駅のそばに置かれた蒸気機関車

温泉街を走る昭和初期のボンネットバス

湯河原温泉の中心部、湯河原美術館の隣にある「水の香里」に飾られていた写真には、かつてその場所にあった箱根屋旅館と小梅橋を渡るボンネットバスが写っていました。着物と洋服が混在する温泉街の昔を絵にしてみました。困ったのはボンネットバスの色が分からないこと。今のバスにつながるような黄色と赤にしてみました。
この場所は今も「温泉場中央」のバス停があり、小梅橋は大型バスがすれ違うのもなかなか難しい場所です。

温泉街へたくさんの客を運んだボンネットバスを主役に
昭和初期の写真(水の香里所蔵)

今後も「昔の湯河原」を描きたい

今回いくつか描いてみましたが、レトロな感じを出すために色は控えめに、個展会場でも「面白い」となかなか好評でした。個展会場で昔の思い出などお客様のお話を聞くのもとても興味深く、作品がお話のきっかけになるのが嬉しかったです。
昔の写真から絵におこすというシリーズは、歴史好きな私にはぴったりの題材でもあり、次は湯河原駅や温泉場の昔を描きたいと思います。

明治期の温泉街を描いた図は他に2枚ある(上野屋旅館蔵)