油絵との出会い

ペインティングナイフで描くのが好きだった高校時代

高校の美術部時代

子供の頃から絵を描くのが好きだった私は高校で美術部に入った。

ただ動機は不純で、純粋にもっと絵を習いたいという気持ちからではなく、中学時代の運動部のキツさに嫌気がさして、「美術部=帰宅部」という「放課後はときどき美術室で絵を描こう」くらいの軽い気持ちであった。

しかしながら、私のその考えは間違っていた!

私の高校の美術部は、大阪の数多い高校の中でもトップクラスに入るレベルの高い、活発な美術部だったのである。活動日はほぼ毎日。夏休みには合宿まであり、お盆休みもなく絵を描き続けるというスパルタ美術部であった。

とはいえ、個性溢れる楽しい仲間たちと絵を描く日々は充実していた。

汚れが落ちにくい油絵具

50号との格闘

初めてなのにいきなり50号の油絵を描いた。この美術部では50号が基本で、時には80号、最大で120号の絵を脚立に乗って描いたこともある。合宿の時だけ「持ち運びが楽」という30号。それでも大きい。今、F4やF6を描いていることを思うと、本当に大きな作品と格闘していたことが分かる。

時間はあるがお金のない私たちは自分たちでベニヤ板を切り、木枠をつけ、下地を塗って絵を描いていた。高価な油絵具も大きな絵だとどんどん使うので、メディウムを混ぜることで量を増やして使っていた。

朝焼けの尾道港。こんな美しい光景を描かず、ごみごみした工場などを描いた記憶がある。

合宿は他の高校と合同で1年時には三重県・波切、2年時には広島県・尾道へ行った。昼間はずっと絵を描き、夜は絵を並べて批評会。厳しい意見が飛び交う刺激的で恐ろしい時間だった。

夏休みの終わりに大阪の高校展(コンクール)があるためお盆休みも学校へ行き絵を描いた。お盆に活動があるのは野球部と美術部だけだった。

文化祭では飾りつけなども任され、なかなか休みのないハードな部活だったが、顧問の先生は厳しいわけではなく好きなようにやらせてくれた。写実的な絵ばかり見ていた私に、印象派やキュービズム、具象や抽象という幅広いアートの視野を与えてくれた。

私が高校の頃に描いた油絵が1枚も残っていないのは残念だが、ごみごみした街角を実際の色とは異なる色で描いた具象的な風景画が多かったのを覚えている。

様々な美術展へ足を運び、レベルの高い他校との交流もあり、アートの視野を広げてくれた高校時代の経験。ただ結果としては、自分には美術の才能がないと思い、絵の道に進むことはなかった。美術部の仲間のうちには美術系の大学へ進学した人もいるが、私は歴史を学びたいという思いが強く総合大学へ進み、しばらく絵から離れることになる。

しかしながら、20年後にまた絵を描き始め、今もなお美術の才能がないと思いつつも、筆を握っている不思議な因果である。